第3章 新しい国の新しい人種

新しい共同体

 クリスチャンになるということは、ある具体的な交わりの中に入ることを意味しました。今までとはまったく違う、神による新しい創造です(第二コリント 5:17)。新しい人間関係がそこにありました。そこには神のきよさが溢れていました。バプテスマを受ける人たちは、新しい生き方を身につける人たちです。新しい歴史に入ります。新しい主に仕え、新しい戒めに従います。今までとは違う忠誠心が求められます。クリスチャンは古い世界の中に存在する新しい共同体の住民なのです。新しい国の新しい人種です。

 『ディオグネートスへの手紙』の中で、クリスチャンは日常生活においては他の人と何ら変わらないけれども、しかし何かまったく違ったものを持っている、と書かれていることは先に述べました。その文章のすぐ後に多くの実例が記されています。当時は、望まない子が生まれると森に捨てたり、町のごみ捨て場に置き去りにしたりしました。また父親が子を受け入れて名前を付けるまでは、子として認められませんでした。クリスチャンは森やごみ捨て場に行って、そういう子を拾ってきて育てました。コペリウス(「町のごみ捨て場から拾われてきた者」の意)という人は、成人してエジプト教会の働き手になりました(Lane Fox, Pagans and Christians)。クリスチャンは社会から捨てられた人々を集めて、新しい社会をつくったのです。

 この共同体は分かち合うグループでした。互いに食物を分かち合いました。しかし床を共にすることはありませんでした。古代社会の通念と違っている点がたくさんありました。『ディオグネートスへの手紙』第5章の最後は次のように終わっています。「魂が身体の中にあるように、クリスチャンはこの世の中に存在する。魂が身体の中にありながら身体ではないように、クリスチャンもこの世にあってこの世のものではない。社会の中の新しい人種、新しい共同体であり、この人たちが社会全体にいのちを与える」。アテネのアリステイデース(2世紀前半のキリスト教弁証家)も、「これはまことに新しい人種だ。そこに神が働いておられるのだ」(『弁証論』 16)と言っています。

 

包括的な共同体

 この新しい共同体は二つの意味で普遍的、包括的なグループでした。一つは、社会のすべての階層から人々が集まったという普遍性を持っていました。特定の人が集められたのではありません。社会のどこからでも入ってくることができました。二つ目は、地理的な意味でも、包括的な共同体でした。ローマ帝国全体、さらにその外にまで広がる地域から、人々が集められたのです。社会の中では少数派でしたが、非常に広い視野を持った運動でした。初代教会のこの普遍性、包括性もまた、多くの人を引き付けた大きな要素でした。

 

社会のすべての階層を含む共同体

 初代教会がどんな社会的背景を持つ人たちによってつくられたかについては、長い間論争がありました。かつてのステレオタイプ的な考え方は、社会の下層階級に属する貧しい人々の運動だったというものです。第一コリント 1:26〜28が根拠になっています。「兄弟たちよ。あなたがたが召された時のことを考えてみるがよい。人間的には、知恵のある者が多くはなく、権力のある者も多くはなく、身分の高い者も多くはいない。……この世で身分の低い者や軽んじられている者、すなわち、無きに等しい者を、あえて選ばれたのである」。ところが20年程前から、もう一度新しい光で初代教会を見直そうという動きが出てきました。「多くはない」ということは、「いくらかの者はいた」という意味であることに目を留めるようになりました。最近では、初代教会には中流階級の人が多かったと考える人たちが増えています。シカゴ大学のロバート・グラント教授は、初代教会の人々は文字を読んだり、書いたりできたし、よく旅行もしたと言っています。そして迫害のときも、獣の餌食になっただけではなく、首をはねられて死んだ、というところに注目します。つまりその人たちはローマの市民権を持っていたということです。もしそうだとすると、初代教会が貧しい人たちだけの教会だったとは言えないわけです。

 ローマ帝国は階層がはっきり分かれている社会でした。さまざまな階級、身分、地位があり、それぞれの身分ごとに集団がつくられていました。専門職や仕事による集団もありました。たとえば消防士の集団、葡萄酒造りの集まり、死人を葬る人の組合といったようにです。それぞれが集まって親睦を図り、またいろいろな活動をします。同じ宗教を信じる人だけの集団もありました。その場合でも特定の神は特定の職業と結びつくことが多かったのです。性差別もはっきりしていました。そういう社会の中で、キリスト教は底辺の人たちの集団でありつつ、なお誰にでも開かれている共同体として存在しました。あらゆる階層、あらゆる階級、あらゆる職業の人がそこに入ることができました。教会に身分の低い人々が集まっていたことは疑いありません。ですから、身分の高い人がクリスチャンになろうとすれば、身分の低い人々と仲間になる覚悟をしなければなりません。さらにこの団体は非合法ですから、その先には迫害が待っていることを覚悟しなければなりませんでした。にもかかわらず、教会はすべての階層の人を含む共同体として成長しました。

貧しい人々と豊かな人たち

 共同体に貧しい人が多かったのは確かです。キリスト教は貧乏人たちの運動だと、異教徒たちは悪口を言いました。教育のない、無知な、文字の読めない民衆の運動だ、と。クリスチャンはまさにその通りと告白します。悪口をそのまま受けとめました。クリスチャンは言いました。わたしたちは貧しいことで知られている。しかしみな兄弟姉妹であり、キリストを信じることにおいて区別のない仲間なのだ。それは神の家族として分かち合う共同体でした。貧しい人々は富の分配という恵みにあずかりました。人々は献げられたものを売って共同の基金をつくり、必要に応じてみなに分けていました。必ずしも十一献金を勧めていません。それは旧約の考え方です。もっと急進的な献金、すべての分かち合いが勧められました。

 2世紀に活躍したリヨンの司教エイレーナイオスは証言しています。「[神から]受けた者たちは、持ち物すべてを、主の目的のために取りのけておく。我々は喜びをもって自由に献げる」(『異端反駁』 5. 13. 3 ; 4. 17. 5ほか)。貧しい人々は、ただ世話を受けるだけでなく、教会の中で管理する責任を持たされました。ある学者は言いました。「キリスト教は、社会の中で最も口数の少ない人々がはっきり発言することができるようにした。まったく思いがけないグループの人たちだった。声なき人々に声を提供したのだ」(Lane Fox, Pagans and Christians)。2世紀始めのシリアの弁証家タティアノスによると、貧しい人々も豊かな人たちもいっしょにキリスト教の真理を深め、単純な人も教育を受けた者も、共に交わりを喜んでいました。もちろん金持ちは少数派でした。金持ちで貴族階級の男性はほとんどいなかったと考えていいでしょう。豊かな人が信仰を持つと、キリストによって与えられる自由に入るために、持ち物を捨てるように招かれました。自分たちの住んでいる家をキリスト教の集会に提供した人もいました。

 3世紀中頃、トルコで、あるクリスチャンの執事が裁判官の審問を受けた時、次のような対話が交わされました。お前は地方官吏か。違います。では誰か。わたしは市民です。お前は金持ちか。はい、たいへんな金持ちです。子どもはいるか。はい、実に多くの子がいます。そのとき群衆のひとりが叫びました。彼はキリスト教信者なので、子どもがたくさんいると言っているのだ。つまりこの人は、教会という分かち合いの家族に入って、それでますます豊かになったというのです。新しい家族の中で子どもも増えたというのです。

奴隷

 教会には多くの奴隷もいました。奴隷に対する考え方はいろいろでした。初代教会は、奴隷の解放を主要な関心事とすることはありませんでした。しかし、一般の社会では人間扱いされていなかった奴隷の人たちが、教会の中では確かに解放を体験していました。そして共同体の中で、驚くほど広い活動の場を与えられ、重要な働きをしていました。ヘレマスという預言者も、カリスタスというローマの司教も奴隷の出でした。クリスチャンは奴隷の問題について、神学的に一つの考え方をするようになりました。すべての者は聖霊によって兄弟姉妹とされているのだから、イエス・キリストを信じることにおいて、われわれすべてがキリストのしもべ/奴隷なのだ、ということです。奴隷はキリストによって解放を与えられ、キリストの教会において解放を体験したのです。

女性

 異教の批評家はクリスチャンの中に女性が特別に多いことを批判しました。興味深い歴史的文書があります。それによると、303年、北アフリカで教会が迫害されました。迫害する者が教会に来て、持ち物を全部出すようにと命じました。まず本を全部と、それから衣類を出させます。16枚の男性用の衣服、82枚の女性用の衣服、さらに47足の女性用の靴が出てきました(Canons of Elvira 15)。女性のほうが多くの衣服を必要としたという見方もありますが、教会の中で女性の数が多かったことを示していると思うべきでしょう。女性は当時の社会で与えられていなかった自由を、教会の中で与えられました。それで女性の数が多かったのです。ある著名なイギリスの学者は、社会的差別や性差別のない、平等が実践されている教会の中で、女性に活躍の場が与えられたと言っています。

 教会は新しい社会でした。それは包括的なグループであるという点で、新しかったのです。お互いを兄弟姉妹と呼ぶ、実にさまざまな人々の間の連帯感が、そこにありました。すべての人が参加したわけではありません。しかしすべてのタイプの人が参加できました。まさにそのために、教会は社会の主流から離れた、周辺的な運動とならざるを得なかったのです。けれども、いろいろな背景から人々は新しい世界に導かれました。そしてその新しい世界は、人々を引き付けました。

 

全世界に広がる共同体

 社会的な意味だけでなく、地理的にも、初代教会はすべてを含む運動でした。教会はあらゆる地域から集められた人で成り立つことを、クリスチャンは意識していました。ローマ帝国内には、それぞれの地域を代表する神々がいました。エジプトで礼拝されている神は、スペインであがめられている神とは違っています。しかし、クリスチャンはすべてのものの創造主であられる神を礼拝していました。唯一の神です。ある特定の地域の神ではありません。初期の聖餐式の式文の中に、自分たちはすべての場所から風によって集められた、という表現があります。地域の教会は、たとえどんなに弱い教会であっても、全世界を包み込む大きな運動の一部だという感覚を持っていました。自分たちは地域を超えた普遍的な教会に属している、と感じていました。

 ある学者は言います。「クリスチャンはまるで一つの新しい国民のようだ。土地もなく、伝統もなく、普遍性を正当化する何ものも持っていないにもかかわらず……」。土地を持たないけれども、全世界を包む新しい国に彼らは属していたのです。そして忠誠はその新しい国にのみ尽くすべきでした。初代教会に属するということは、地域の小さな教会に属すると同時に、世界全体を含む大きな運動に入るということでした。

預言の成就

 初代教会はイザヤ書2章、ミカ4章を好んで引用しました。自分たちこそ神の期待の成就、終わりの日の最初の果実と感じていました。「終わりの日に次のことが起る。主の家の山は、もろもろの山のかしらとして堅く立ち、もろもろの峰よりも高くそびえ、すべての国はこれに流れていき、多くの民は来て言う、『さあ、われわれは主の山に登り、ヤコブの神の家へ行こう。主はその道をわれわれに教えられる、われわれはその道に歩もう』と。……こうして彼らはそのつるぎを打ちかえて、すきとし、そのやりを打ちかえて、かまとし、国は国に向かって、つるぎをあげず、彼らはもはや戦いのことを学ばない」(イザヤ 2:2〜4、ミカ 4:1〜3)。イエス・キリストが来られたことにより、神はこの預言を成就された、と初代教会は信じました。そして今も、自分たちを通して預言は成就しつつある。全世界的な運動に参加する自分たち、今まで敵であった者同士の間に平和が与えられた自分たちは、この預言の成就なのです。すべての国民がエルサレムに集まる、と預言は言います。そこで神が律法を与えます。人々は武器を捨て、平和をつくり出していく、と言うのです。

 ユスティノスは150年頃、ローマで言いました。「福音がエルサレムから全地に広がっていった。それゆえに平和を作り出すことができる。福音がわれわれを変えてしまった。かつては戦争を好んでいた。しかし今は世界のすべての場所で、武器を農具に買えた。つるぎをすきにかえた。今は敬虔と正義の種を蒔いている。信仰や希望や兄弟愛の土壌を耕している。これらのことを我々は十字架につけられた救い主を通して、父なる神から教えられた」(『第一弁証論』 23)。

 初代教会は小さな教会でしたけれども、大きなヴィジョンを持っていました。社会のさまざまな領域から人々は集められました。かつては敵同士だった地域から集められて、新しい国をつくりました。イザヤ書の預言が現実であることを味わっていました。そこには大きな喜び、ある種の興奮がありました。人々は教会に加えられるとき、神の将来に向かって招き入れられている、と感じました。


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