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今日の一言
クリスチャンだと思っているみなさん、どうぞ私の言葉に耳を傾けて、主の恵み、その功徳、受肉、血、十字架、御国、死を大胆に誇ってください。しかしあなたがたの中にはキリスト教の信仰も、兄弟愛も、悔い改めも、キリストのサクラメントが真に行われていることも、純粋な教義も、神から与えられる責められることのない、信心深い生活もありません。聖書ではそう命じていますのに。
―――メノ・シモンズ

なぜ「アナバプティズム」研究会なのか?

 今日、最も教派の数が多いのは、アメリカ合衆国でしょうか。約400の教派があるそうです。しかし、クリスチャン人口がアメリカと比較にならないほど少ない日本にも、三桁もの教派があります。こんなにも数少ないクリスチャンを、こんなにも多い教派で引き裂いて、一体何の益になるというのでしょうか。そもそも、教派があること自体、おかしいのではないでしょうか。使徒たちの時代、今日のような「教派」は存在したのでしょうか。たしかに、信仰の理解において、いくつかのヴァリエーションは存在したようです(例えば、ローマ14:2-6参照)。しかし、その事実は、「教派」の存在を肯定しません。新約聖書は、分裂を一貫して極端に嫌っています(例えば、Tコリント1:10,3:3-5,テトス3:10-11,ユダ19等)。「〜派」(黙示録2:6参照)という言葉は、実はそれそのものが異端なのではないでしょうか。

 実は、日本のプロテスタント教会は、その宣教のはじめにおいて、教派主義に対し極めて懐疑的でした。そのかわりに、「公会主義」という立場が好まれたのです。「公会主義」とは、わかりやすく言い直せば、無教派主義のことです。様々な問題点を含むにせよ、公会主義が取り上げた問題意識は、新約聖書が持つ問題意識と、本質的には遠く離れていないと思います。

 教会史的に見ても、自らが「我々は〜派だ」と、教派の旗印を揚げて分裂していった例は、あまり思い浮かびません。「アナバプティスト」は蔑称でした。彼らは自らのことを、ただクリスチャンと呼んだのです。「メソジスト」も、「きまじめな奴だ」ぐらいの意味です。ルターも、「ルター派」をつくろうとはしませんでした。

 もう教派のレッテルは充分なのです。いや、最初からいらなかったのです。もうわたしたちは、〜派というレッテルに飽き飽きしています。それなら、なぜアナバプティズム研究会は、「アナバプティズム」研究会と名乗るのでしょうか。

 もし、単にあまり耳慣れない教派の名前をひろめるとか、あるいはもっと大胆に、新しい教派を結成するとか、そういったことが目的なら、そのような団体に存在価値はありません。しかし、アナバプティズム研究会が目指しているのは、そういったことではありません。

 アナバプティズムとは、そもそも何なのでしょうか。まず、第一義的には、宗教改革期に起こった運動です。プロテスタントの改革者たちが、単に現状を改革(Reformation)しようとしたのに対し、アナバプティストは、より根源的な刷新、即ち、使徒たちが目指した教会のヴィジョンを取り戻すこと(Restitution)を主張しました。当時のプロテスタントと全く異なる歩みをし、カトリックからもプロテスタントからも迫害されたのは、この、古くかつ新しいライフスタイルを、彼らが選び取ったためです。

  現在、わたしたちの目の前にひろがっている教界全体の状況は、なによりもまず宗教改革によって決定的な影響を受けています。その時になされた議論が、様々にかたちを変えて、現代にまで受け継がれています。「アナバプティズム研究会」の用いる「アナバプティズム」とは、第一義的にはこの、宗教改革期における、教会復元を試みた運動という歴史学的用語であって、なにか新しい教派をつくりだしたりする試みとは無縁のものです。

 わたしたちは、宗教改革期に起こった「アナバプティスト運動」を、教会の歴史の中で特に注目すべき運動として扱います。それは、彼らが使徒たちのヴィジョンを、他の人たちに増して真摯に取り上げたからです。そして、その結論と生活が、宗教改革の主流派(ルター・カルヴァン・ツヴィングリ等)、つまり、今日のプロテスタント主流派が受け継いだところのものと大きく異なっていること、これこそアナバプティズム研究会が「アナバプティズム」研究会を名乗る大きな理由なのです。つまり、現代の教界に対して最も衝撃を与える形で、教界の現状に疑問をつきつけること、これがこの名称をわれわれがあえて使うことの意味なのです。

 もし、われわれの全てが、使徒たちの目指したヴィジョンにストレートに立ちかえることを求め、ただイエスの生き方に倣うことをおぼえ、プロテスタントだとかカトリックだとか、そんなアイデンティティーが意味を成さなくなるなら、その時、アナバプティズム研究会も「アナバプティズム」という名称を捨てるでしょう。もとより私自身、自分をプロテスタントだとか、ましてアナバプティストだとか説明したことは一度もありません。ただクリスチャンだと言ってきました。やがて「アナバプティズム」研究会という名称が不要になる日が来ることを、心から願っています。(三根)

お知らせ

・当会開催の研究活動にご参加ください。日時、場所、参加資格などは別紙が用意してありますので、興味がある方は、ぜひ当会会員にコンタクトを取ってみてください。

・当会独自のメールアドレスを取得しました。
アドレスは、anabap@eastmai.comです。ホームページとあわせて、よろしくお願いします。

あとがき

 随分、発行に間を空けてしまいました。心よりお詫び申し上げます。活動自体は、細々ながら続いています。不定期ながら種々の研究会が開かれ、いくらかの参加者も与えられています。

 私、三根の仕事の都合から、どうしても活動が不定期になってしまうので、仕事を変えたいと願っていますが、良い導きが与えられるよう、お祈り下さい。(三根)

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