第5章 バプテスマ
バプテスマの意味
この講義のテーマは初代教会の宣教です。バプテスマもまた宣教にとって重要な役割を果たしました。初代教会のバプテスマは単純素朴というよりは、むしろドラマチックな儀式でした。水というものは、それで人が溺れることもあるし、のどの渇きをいやすこともできます。汚れを洗い清めることもできます。バプテスマは死と復活を表わす儀式でした。ひとたび罪のからだが死んで埋葬され、もう一度新しくよみがえる、という意味が込められていました。決して単なる慣例の儀式ではありません。具体的に一つの世界と決別して、新しい世界に生きるのです。これまで安全と思っていた世界は実は死に至る世界であった。そこから離れてこれから入る新しい世界は、いつ殉教の死が訪れるか分からない危険に満ちているけれども、しかしそこでは永遠の生命が約束されています。バプテスマを受けた後、肉体としての生命は短期間に終わるかもしれません。しかし新しい生命に生まれ変わり、そのいのちは永遠に滅びないことが信じられました。バプテスマは、そのように新しい生命に生まれ変わるのを助ける儀式でした。この儀式の中で、バプテスマ志願者は力を与えられ、殉教の死にも直面できるようにされました。バプテスマを受ける過程で、過去の罪が赦され、「霊力」から自由にされ、悪しき習慣から解放されました。それまでの安逸な生活から離れ、神にお仕えする生命に生きるようになります。その世界は自由な世界、可能性が満ち溢れている世界です。新しい社会的連帯の中に入れられます。ユスティノスは、バプテスマは新しい人種としての出発の儀式である、と言いましたが(『第一弁証論』)、まさにその通りです。聖霊の力により、これからの生涯を、神に忠実に生きることができるように準備する、そういう儀式なのです。
バプテスマの準備
新約聖書では、信仰を告白するとすぐにバプテスマを受ける記事が出ています(たとえば使徒8:26以下)。すでに聖書(旧約)を読んでおり、神の働きについてある程度の知識を持っている人たちの場合は、それでよかったのですが、ローマ帝国の異邦人に宣教する場合は、違ってきました。
215年頃、ローマで書かれたヒュポリトゥスの『使徒伝承』という文書の中に、バプテスマについての記述があります。それによると、バプテスマの最初の段階は、非常に長い準備の期間でした。これは真剣な訓練の時、志願者にとっては気落ちして脱落してしまうこともあるような厳しい期間でした。ほんとうのバプテスマの志願者とそうでない人を区別する、いわば「草むしり」のような期間だったと言っている学者もいます(Robert Webber, "Ethics and Evangelism: Learning from the Third-Century Church")。
わたしがキリスト教に興味を持ったとします。するとわたしはクリスチャンの友人を訪ねます。何年もその友人の生活を眺めていて、彼が危険をどのように乗り越えたかを見て、自分も教会に行ってみたいと思ったのです。しかし友人はわたしを教会の礼拝にではなく、クリスチャンのリーダーのところに連れて行きます。そこでリーダーはわたしをテストして、わたしがどれほど真剣かを見ようとします。リーダーはわたしの友人にも質問します。この人はほんとうに真剣にクリスチャンになりたいと思っているのかどうか。その場合、友人の証言が大切です。わたしが真剣に神の言葉を聞く準備ができているかどうかを知るための質問には、少なくとも次の二つが入ります。
一つはわたしの家族についてです。結婚しているかどうか。もし結婚しているなら、配偶者に対して忠実であるか。またもし奴隷であるならば、この場所に来ることを、わたしの主人は承諾しているか。次には、わたしの仕事について。どんな仕事についているか。教会が認めることができないような職業についていないか。もし絵描きだとすると、偶像を描いていないかどうか。もし偶像を描いているなら、その仕事をやめる気があるか。もし兵士なら、たとえ上官の命令であっても、人を殺さない覚悟ができているか。人を殺してはならないという神の言葉に反しているならば、バプテスマ志願者としてふさわしくないことになります。
ほんとうに神の言葉を聞く用意があるかどうかが調べられるのです。志願者の段階であっても、クリスチャンが大切にしている価値観に従って生きていく決心があるかどうかが大切にされます。そこで受け入れられると、カテキュメン(「バプテスマ志願者」)あるいは「みことばを聞く者」となります。そしてバプテスマの準備に入ります。短い場合は3か月のこともありましたが、しばしば3年もの間、カテキズム(信仰入門の教え)を学ぶことが要求されました。その間、毎週一回、わたしと友人は準備の学びに通います。友人からもいろいろ学びます。このようにして互いの人間関係が築き上げられていきます。教えられる内容も驚くべきものでした。キリスト教の教理や、まして、神学ではありません。この準備で強調されることは、どのように主の弟子として生活するかです。それと聖書の話、特にイエス・キリストの生涯とその教えでした。ユスティノスは言っています。「キリストご自身から来る教えを受けた者として、わたしはそれらを正しく他の人たちに伝えようとした」(『第一弁証論』 14)。バプテスマを受けるまでは教えられないものも多くありました。聖餐式の意味などは教えられませんでした。
3年後のイースターにクライマックスを迎えます。イースターの前の1週間、友人と二人でリーダーの所に通います。友人は証言を求められます。3年間、この人はクリスチャンの生き方を大切にしてきたか。弱っている人を訪問して力づけたか。困っている人を助けたか(『使徒伝承』 20)。そこで受け入れられると、毎日さらに聖書の教えを学び、悪魔払いの儀式が行なわれます。金、土曜日は最後の断食の日です。土曜日の夜、すべてのバプテスマ志願者に対して悪魔払いが行なわれます。司教が息をふきかけて額の上に十字を切り、今後どんな悪霊もこの人を支配しないようにと悪霊に命じます。古い世界から新しい世界に移るのです。こうして、3年間にわたるバプテスマの準備が終わります。
バプテスマの式
イースターの日曜の早朝、教会のリーダーはまず「洗礼槽」の水を祝福します。(室内のお風呂のような所。ほかに水の深い所、海や川でも行なわれた)。バプテスマを受ける順序は、まず自分で信仰を告白できる子ども、次に親が子に代わって信仰告白をする子ども、そして男性、女性と続きます。志願者は女性と男性に分けられ、それぞれの場所で衣服を取ります。古い自分を脱ぎ捨てて新しい人を着る、というパウロの言葉を具体的に体験するのです(コロサイ3:9以下など)。
はじめにサタンを退ける祈りがあり、今後どんな悪の力からも安全であるようにと、悪魔払いの香油が塗られます。水際に立ってバプテスマの告白を三回します。「あなたは全能の父なる神を信じますか」「はい信じます」と言った後に、浸礼によるバプテスマが授けられます。次に「ひとり子でありたもうイエス・キリストを信じますか」と聞かれ、「はい信じます」と言うとまた浸礼が施されます。三回目の質問「聖霊を信じますか。聖なる公同の教会を信じますか。からだの復活を信じますか」と聞かれ「はい」と答えると三回目の浸礼が行なわれます。
バプテスマを受けた人は、白い衣を着せられ、教会へ行くことが許されます。司教はその人の頭に手を置き、聖霊が宿るようにと祈ります。それからこの人を立たせ、握手をし、抱き寄せて、教会の祝福を送ります。劇的な情景です。イースターの朝まだ暗い中、あちらこちらにローソクの火がともっています。すべてのクリスチャンが「主は復活した!」「まことに主はよみがえりたもうた!」と叫んでいます。そして、信徒となった人は、そこで初めて、兄弟姉妹とともに手を挙げて祈ります。また神から聖霊の祝福と聖霊の賜物が与えられるようにと祈ります。クリスチャンの兄弟姉妹と彼らが互いに「平和のあいさつ」を交わします。それから、最初の聖餐式が行なわれるのです。
その後4週間にわたって、バプテスマ後の指導を毎日受けることになります。このときにはキリスト教の教義を集中的に学びます。そこで初めてバプテスマの意味、聖餐の意味を教えられます。つまり彼らがすでに経験していることの意味を学ぶということです。いわば神学の集中講義を受け、それらののちに、正規の教会員として受け入れられます。キリストのからだなる教会に組み入れられるのです。
以上述べてきた初代教会のバプテスマの式は、現在多くの教会で行われているものとかなり違っていると思われます。そして興味深い質問をわれわれに呼び起こします。われわれの場合はどうしたらいいのか。しかしいずれにしても、彼らがこのような式を通して、危険に満ちた社会にあって主に従って生きる力を与えられたことは確かです。キュプリアーヌスは言いました。「新しく生まれる水[バプテスマ]の助けによって、それまでの汚れが洗い流された。……天からの御霊の息吹を受けて、新しい人とされた……かつて困難に思えたことも、それを成し遂げる道が今や備えられた」(『書簡』 1)。これらの新しくされた人たちの生き方が、初代教会の宣教を担ったのでした。どのようにそれを取り戻すか、われわれに与えられている課題は、大きいと言わねばなりません。
幼児洗礼について
バプテスマを受ける年齢について論争がありますので、ひとこと触れたいと思います。カトリックとそれからたとえばバプテスト派とでは、見解に大きな違いがあります。けれども近年、論争の中心点が少し変わってきました。自分の立場をあまり強く主張しなくなりました。現在幼児洗礼を支持する学者たちも、初代教会では幼児洗礼があまり行なわれていなかったことを認めています。前の箇所で子どもにバプテスマを授けたことが出てきました。しかし幼児洗礼がバプテスマ全体の中心ではありませんでした。志願者が周到な準備を受けた後、悔い改めてバプテスマを受けたのでした。子どものみを対象としたバプテスマは、5世紀頃までは始まっていませんでした。コンスタンティーヌス以降の時代になると、幼児洗礼に意味があったけれども、それ以前は神学的にも実際的にも意味のないことだったのです。
ではどうして幼児洗礼が行なわれたのかと言うと、緊急事態の中でそれは始まったと言えるでしょう。愛する子どもが病気になり、子どもに永遠の生命がほしいと親は願います。そこで幼児にバプテスマが授けられました。カタコンベの壁にこんな文章があります。「かわいいタイキ、1歳1十ヵ月15日の間生きた。カレンズの日の8日目にバプテスマを受けて、その日に天に召された」。4世紀の終わり頃になると緊急のバプテスマではなく、幼児洗礼が一般的なものとなります。しかし神学的に考えぬいてこれを採用したということではなく、この時代になると教会が独自性を失うようになり、その状況に合わせたということです。